小夏の大冒険

ちよつとした違和感から世界の秘密へ思考は冒険する

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ポスト太田龍を探せ!

で。


そのオカマの東郷健とつるんで雑民党から選挙に出ていたクリハラ氏が、のちの太田龍になろうとは、誰が想像し得ただろうか。
(てか、二人はどのあたりで利害が一致し仲間となったのか?)

太田氏がホンモノだったかどうかは意見の分かれるところだ。
ここで言うホンモノとは、商売のため(そう書くと本が売れるから、という助平根性)でなく、純粋に自身が追求した真実を広めようとして言論活動をしている人、と定義しておく。

あたし達はいつも、ホンモノを探してる。
でも、カリスマ的な誰かの説に、「これこそホンモノだぁぁっ!」と全面的に帰依してしまえるほどのものは見当たらない。
これからも見つかるかわからない。
あたし達のそれぞれが、自分こそホンモノだと主張し合ったっていいんだし。
みんな違ってみんないい、ってそういう意味だったのか?


ただ感触として、ニセモノほどしぶとく長生きしている気がする。
その点2009年に亡くなった太田氏や、先日亡くなった鬼塚英昭はホンモノ基準はクリアしていると見るべきか、ホンモノだから消されたのか、単に寿命か。

氏の本は亡くなってからも売れているけど、まああたしみたいに亡くなってから知った人もいるし、
でも出版社としては亡くなった人にいつまでも頼っているわけにもいかない。


太田氏自身や、デーヴィッド・アイクの本を氏が翻訳した本を多く出していた成甲書房なる朝鮮系の出版社がある。
鬼塚氏もここから出していた。

朝鮮系、ということは反日ゆえに日本に陰謀論を広めようとしているのか、という見方も実際ある様子。
もちろん真実を伝えるという理念のもとにやっているのかも知れんが。

ともあれ出版社としては、早く次の売れ線作家を発掘しなくてはならない。

そこで登場したのが、東大卒、野村證券出身の超エリート、落合莞爾だった。

落合秘史と銘打って、京都皇統(って誰よ)から明かされた秘事、とか派手に売り出されている。






その手の本が売れるとなると、他社も負けてはいない。
学研(「ムー」の会社だな)では映像プロデューサー(何じゃそりゃ)の高橋五郎なる人物を担ぎ出し、天皇の金塊・ゴールデンリリーの謎、などと派手に? 売り出す。




二人、仲悪いの?


落合氏はその著作の中ではっきりと「ゴールデンリリーなるものは存在しない。何をバカなことを」と否定。
対する高橋氏は「本から本を作ってんじゃねーよ。自分の体張って得た情報が大事」と。

いや、だからあたし達は本当のことを知りたいだけなんであって、
ガッチリとプロデュースされ地位を確立した(ように見せかけられる)作家センセイ達の争いに巻き込まれたいわけじゃない。


一応、二人の対比表貼っとくね。





たかがブログのために、わざわざこんな表作成してるあたしって一体…


個人的感想ですが、落合氏のは何か、「作りすぎ」の感がある。
小説なら不要な人物は削ることができるが、歴史となると1つの出来事に多くの人が関わってきて、
それが少ししか出番のない人物であったとしても無闇に「登場させない」わけにもいかず、結果としてすごい登場人物の多い話となる。
そんな複雑なストーリーを矛盾なくきっちりとまとめ上げることができる、確かに頭のいい人とは思う。
でも、堀川政略の件もそうだが、話の流れ上都合が悪くなってくると何でも「ハイ偽装逝去」「偽装逝去で本当はまだ生きていて裏天皇として君臨云々…」みたいな話にさせられて、
日本でこれだけやってるってことは他の国でも結構同様ということも考えられるわけで、
そうなるともう何が本当かわからなくなり、
じゃあ歴史の、そして現在の表舞台に出てくる政治上の主要人物は全員レプリカかってことにもなりかねない。

高橋氏の方は、話は面白いがエンターテイメントとして消費されるだけなのか? 学研だけに「ムー」みたいな処理をされて終わるか?
あたし達がいくら実体験を大切にしようとしても、そう簡単にスパイとつき合えるわけでもないし。


いずれにしても、この陰謀論業界? においてさえも、既に世に出ちゃってる人は、
プロデュースされ(仕立てられ)、「できあがっちゃった」存在だということは、↓下記記事からもわかる。
http://amesei.exblog.jp/11033250/


(関連記事:『徳間書店の謎』)


ALWAYS 二丁目の夕日

桐島洋子が驚いた。

街でお茶してたら(だったか。かなり昔に読んだエッセイ本の記憶を頼りに書いているのでかなり曖昧)、ふいに選挙カーからの演説が聞こえてきて「オカマ、オカマの、東郷健。参議院議員立候補、オカマ、オカマの東郷健がまいりました」
と。

立候補者がオカマであることをわざわざ大声で喧伝するとは何事かというようなことを、桐島氏はその本で述懐していた。
そんな、昭和のある日。


内田裕也でもマック赤坂でも羽柴誠三秀吉でも、イロモノ系のインディーズ候補と言われる人達は、本当に根っからイロモノなのか?

なこともあるまい。
商売で成功して、金あって目立ちたいだけ? いや。
だったらそもそも商売で成功できんだろう。

彼らが成功するまでに積み重ねてきたものを一瞬で無にしてしまうかのように、
選挙というイベントとなると、ひたすらお笑いキャラとして消費される存在に成り下がってしまう。
マジで当選できると思っているのか。と。

こと東郷健に関しては、実際、一般の人々が思っていたよりはるかに、政界にも顔が利いていたようだ。
現在新宿二丁目にボス的存在の人がいるのか知らないが、存命の頃はかなりの地位を築いておられたらしい。

しかし新宿二丁目がゲイタウンという認識が一般の人にも浸透したのって、ここ10年ぐらいじゃない?
知ってた? あたしは知らなかったぞ。
そこから徒歩5分程度にあるゴールデン街の方なら、文化人やら芸能人やらそうそうたる顔ぶれが集う街として有名だったけど。
ざっと思い浮かぶだけでも、赤塚不二夫、赤瀬川原平、南伸坊、髙平哲郎、山下洋輔、坂田明、筒井康隆、篠原"ゲージツ家のクマさん"勝之……そしてタモリ。順不同、いわゆるあっち系のコネクション、まだまだいるはず。
(ちなみに筆者は坂田明トリオの、山下洋輔の後任になった人に、ちょこっとだけピアノを習っていたことがある。まあどうでもいいか)

話を戻す。

東郷健が、それほどエライお方であることを、↓この本を読んで初めて知った。
どのみち古書だし、商品画像も出たり出なかったりするかもだけど。



内容(「BOOK」データベースより)
芸能界の「秘密の橋」とは―。実名ノンフィクションの衝撃。華やかなスターの座を獲得するために、彼らは何を犠牲にしたのか。闇の奥に隠された「芸能界の真実」をいま明らかにする―。


とても素直な文体。読みやすい。作家にありがちな、変にヒネった表現で読者の関心を引こうとするところがない。
編集者の直しが入ってるのではあろうけど。


いいとも青年隊は、二丁目青年隊だったとは。近所のゴールデン街系で「いいとも」司会だったタモリはどう思っていたのだろう。

森進一は、元々はキレイな声をしていたとは。これは驚き。

古賀政男センセイの人となり。何というか、その、なかなかジャニーさんにも負けないキャラの濃さ。
明治大学マンドリンクラブがしんみり奏でる古賀メロディーを聴いただけでは見えてこない。

有名歌手、俳優の自殺の真相、元首相と某歌手の関係等は、ネット上でもいろいろ感想が飛び交っているようだからここでは省略。

川口の貧しい家に生まれて、やがて芸能界入りという著者の経歴は、あたしの中でなぜか大場久美子とカブる。

……

などなど。


そして現在も二丁目は二丁目であり続けるし、芸能界志望者も二丁目に限らず次々に沸いてくる。

最近だとイコリハイミラン…、いやケータイ大喜利のレジェンドじゃなくて、イコリハイミランを逆から読んだ名前の人なんかも、
ガラスの橋を「渡っちゃった」人だったのですかね。


ところで冒頭の、桐島洋子が驚いていたことを書いた本は、どれだったか思い出せないけど、以下のどれかだったかも知れないし、全く別の本かも知れない。






男も女もレインボー。
オカマもネカマもレインボー。


───二丁目関連をとり上げたのは、やっぱり避けて通れないから。
別に好きだからではない。
BLなんか興味ない。あたしは腐女子じゃねー!!


臨時:本当は書きたくないけど

ブログにコメント欄を設けない人のことを、コミュニケーション拒否の極悪人みたいに言ってるブログを見かけて、非常にびっくりし不快な思いをしている。

表現は丁寧でも、さりげなく読者に「あって当然」みたいな同意を求めてる。
そういうの、威嚇というのだ。
コメント欄を設けない人に対するいじめだと思った。
少数派へのいじめ?
いや、あたしは自分が少数派かどうかなんて知らない。

ブログというものを誰が発明したのか知らないけど、少なくともアンタではない。
ブログにコメントができるように設定したのは、ブログを発明した人と同一人物かどうかも知らないけど、やっぱりアンタではないだろう。

アンタはコメント欄が「あるのが当然」と思っているのか。
あたしは「ないのが当然」と思ってましたけど。マジで。
あるのが当然と思っているなら、まずその頭の固さを自覚してください。


ブログを始めた当初、あまりブログ界の事情にも詳しくなかったので、
とりあえずこの人のブログを参考にした。
このブログ主の人には別に思い入れはないけど、有名ブログって、これぐらいしか知らなかったし。

コメントを受けない理由も書かれていて、その点に関しては(ブログ全体の姿勢ではなく)もっともだと思えた。
あるようにも、ないようにも設定できるのだし、見習って何となく、ほんっとーーに何の気なしに「ない」方を選択したんですけど。
(ついでに、自分のことを「あたし」と書くことも見習った)
それってそこまで非難されなくちゃいけないことだったんですか。
ただただ驚き。

このブログ主の人にコメント欄を設けないことが許されるのに、あたしには許されないんだとしたら、そりゃ理不尽だわな。


ブログをやるのは、書きたいことがあるからだ。当然だ。
コメントで何か言われて、それに応えることをネタとしてお茶を濁したいわけじゃねーから。
そうしないとネタが出せないわけじゃねーから。
コメントで何か言われて、それに逐一対応していて、本来書きたかったことが書けなかったり、内容がズレていくことを危惧している、
ってことをこのブログでも当初から再三書いているんだけど、
またコメントコメントと騒ぐ奴に限って、そういうのロクに読まずに、ただコメント欄がない点にだけ反応して、
ギャースカ騒ぎ立てるんだよな。

他の、コメント欄がないブログの人達へはともかく、
あたしに文句があるなら、以下関連記事をじっくり読んでからにしろやワレ。

(関連記事:
基本方針
今の職場
咆哮』)

「コメントを書きたいからお前のブログのスペースを俺によこせ」と?
それって恐ろしく暴力的な心根だなぁおい。

そういう人は、たとえどんなに人畜無害そうに見える、例えば、あくまで例えばですが田舎暮らしとかのブログをやっていても、
暴力的な心根の持ち主なんだなとあたしは思います。
逆にそういう人だからこそ、必死で自分をいい人に見せたくて人畜無害なブログをやるのかも知れません。

人のスペースで自分の意見を展開したいのではなく、単にこちらに連絡をしたいというだけなら、
何もコメント欄に固執しなくても、この現代、探せば何かしら方法はあるはず。

それをしないのは、探すことを怠っているなまけ者なのか、
あるいは、単にそこまで強くコンタクトを取りたいと思っていないかのどちらかだ。



あたしだって「コメント欄を設けている他の人のブログ」へ行った時は、たまにコメントすることはある。
自分のブログにコメント欄がないだけに、人様のブログに書き込む際は、あるルールを自分に課している。
そのルールとは、こうだ。

①あたしのコメントがあることによって、そのブログが、ブログ主でもあたしでもない第三者から見て、よりおもしろいものになると思えるかどうか。
←実際おもしろいと感じるかどうかは人それぞれなので、ここは主観でOK。

②たとえ承認されなくても恨まず、今後もその人のブログを訪問したいと思えるかどうか。

この2点をクリアできない場合は書かない。

お前は書き込むのにいちいちそこまで覚悟を決めるんかいと言われれば、ああ決めとるで!!
幸いなことに、今まであたしが自主的に書き込んだことのあるブログは、あたしにとって十分に魅力的なものばかりで、
その後も継続的に訪問させていただいています。
最近ご無沙汰している所もあるけど、魅力的と思っていることには変わりない。
あくまで「自主的に」書いた場合は。

やっぱりコメントコメントと騒ぐ系の人で、書いてと頼まれて断りきれず書いたブログの人は、
その後こんなことになっちゃいました…

だから実体験として、コメントを強要する人の方がタチが悪かったですけど。

本当はわざわざこんなエントリー設けたくもないわ。はあ、めんどくさ…
こんな説明にエネルギー費やすんだったら、本来書きたいことに専念したいのに。 
次回から、本来書きたかったことに戻ります。

詩情豊かな岩手県

「2番じゃダメなんですか」byれんほー。


いや、ダメってこたない。
敢えて2番に着目することで、違う景色が見えてくる。
今日はそれを試してみる。


ナウなヤングの陰謀論者のお前らなら、田布施システムのことは知ってると思う。
日本を牛耳っているのは未だに薩長で、中でも歴代首相や著名な政治家が田布施町を中心とした山口県から最も多く輩出されているという。

ああそうだ、今Wikiで調べたら、あのお笑い芸人の松村邦洋がモロ田布施町の出身だってよ。
どうりで順調に出世した……のか? まじか。


田布施が有名になる前の90年代後半頃から個人的に気になっていたんだけど、
著名な詩人に、妙に山口県出身者が多いなと。
政治家が多いのは言われて気づいたけど、詩人が多いのは独自に気づいたぞっ。ほめて。

前回書いた「みんな違って云々」の金子みすゞはもちろん、
(みすゞ弟も劇団立上げ&コミックソングの作詞家だった)
中原中也、種田山頭火、演歌の大御所・星野哲郎センセイとか、
まど・みちお、山崎まさよし、宇野千代や林芙美子も入れとくか、
有名どころだけでもこれだけ出てくる。


じゃ政治と詩は似ているのか。

結論から言うと、似ていない、と思う。

じゃ何で詩人が多いかというと、
詩が広まるためには政治力が必要だからだ。

詩心を持った人はどの県にもいるけど、それで有名になるのは並大抵のことではない。
詩人なんて食えない代表みたいなもんだろ。
積極的に広めようとしてくれる有力者がいるからこそ。
金子みすゞにとってのAC(それでいいのか? いーんだよっ!)みたいにな。


じゃ、2番目に首相経験者が多い県はどこかというと、これが薩長の鹿児島県ではなく、
岩手県なのだ。

ただ、岩手出身で首相になる人って、何かの穴埋めだったり、山口や他の県出身者がやりたがらない役割をやらされる、
そう運命づけられている気がする。

平民の首相ってどんなもんか試してみよう的な原敬とか、
誰も負いたくない戦争責任を押し付けられた東条英機とか、
前首相が急死したから穴埋め的に首相になった鈴木善幸とか。

あと、もうかれこれ20年ぐらいもの間首相になりそうでならない、時として悪役を押し付けられる
小沢一郎も忘れちゃいけない。

もし田布施システムが偶然ではなく本当に仕組まれたものなら、
この岩手県の役割も、やっぱり偶然ではなく、数ある県の中から岩手に割り振られたもの、
選ばれてそうなったものと考えるべきでは。

そう考えると、他の県が「今なぜそうなっているのか」も、
すべて偶然ではなく、仕組まれたものかもしれん。
じゃあ仕組んだのは誰? そこまで考えると、もう日本国内だけを見ていては答えは出てこない。

岩手って、原発ないんだよ。
目先のカネをちらつかされても、県民の安全を守るべく屈しなかった、
そこは岩手の為政者達の実力とは言えるだろう。

なぜ岩手が選ばれたのか。

山口県的には、天敵である福島県にイイ役回りはくれてやりたくない。
ちょいとズレた所にあって、福島県にニラミがききそうな、手なづけるとわしら長州の役に立ってくれそうな、
このあたり、地政学的にも? なんかありそうな。


で。

じゃー詩心という面では、岩手県はどうなのか。

人数はそんなにいないが、有名な人は超有名。
石川啄木とか、今なお人気の宮沢賢治とか。

何より岩手と言えばあの、『遠野物語』の神秘的なイメージを思い浮かべる人も多いのでは。
柳田國男は岩手県人ではないがな。
ていうか、柳田は岩手に「そういう」イメージを与える役割を課せられた人物だったのでは。


マスゴミとか言われてしまう出版業界だって、
売れるなら陰謀論の本も出すだろう。
現に売れてるらしいし。

それをそのままブログやらSNSやら掲示板やらに流すんじゃなくてさ、
著者の受け売りじゃなくてさ、
個人だって、素人だってどんどん自身の解釈、考えを出していったっていいだろう。

長州なら長州だけを見てるんじゃなくてさ、
せいぜい薩摩までしか見ないんじゃなくてさ、
役割を持って動いている地域が他にもないか、
お前ら(あたしも)自身が探すんだよっ!

それが大冒険なのさっ。

「みんな違って~」の意味するもの

「文部科学省の皆さんへ」とな…。
最近改めて話題になった前川前事務次官の退職時のメール。

<朝日新聞デジタル 1/20(金) 18:56 より引用>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170120-00000077-asahi-soci

文部科学省の天下り問題で辞職する前川喜平事務次官は20日、「文部科学省の皆さんへ」と題するメールを全職員あてに送った。同省トップ自ら国家公務員法に違反する行為をしただけに「深く反省する」とする一方、「弱い立場、つらい境遇にある人たちに手を差し伸べることは、行政官の第一の使命だ」として、特に性的少数者への支援を訴えた。
(中略) 
 一方、「ひとつお願いがあります。私たちの職場にも少なからずいるであろうLGBTの当事者、セクシュアル・マイノリティの人たちへの理解と支援です。無理解や偏見にさらされているLGBT当事者の方々の息苦しさを、少しでも和らげられるよう願っています。様々なタイプの少数者の尊厳が重んじられ、多様性が尊重される社会を目指してほしいと思います」とつづっている。

(引用ここまで)

てか、何でそこで唐突にLGBTが出てくるかな。
苦しい思いをしている「少数派」なら他にも沢山あるのに。何でLGBTだけ?
違和感持った人も多かったと思う。
記事は「よくやった」という方向に持っていきたいんだってことがあからさまだけど。

何でか。

別に本人が「それ」なわけじゃなくて、思うにこれはLGBTの方々を味方につけるためでは。
せっかくの辞世の辞? どこからも共感得られずには終われない、
転んでもただでは起きまい、官僚なら発表する文書にはそのぐらい考えてるだろう。

或いは当事者の方々から常々、影響力のある立場の人にそうアピールしてもらうよう働きかけがあるとか。
そう書くと氏本人側も当事者の方々も「そんなこと頼まれてない、頼んでない!」と主張するだろうけど。
今やその方面の方々の勢力は侮れないものがある。
結束固いからね。
マ○コ・デ○ックスが何のバックもなしにあそこまでなれたと思う?
ああマユコ・デトックスね。って誰だよ?

そんな氏が最近、加計問題で再び話題に。

いや~あれ、おとりおとり。

総理ともなると、誰が総理になっても国会やらマスコミやら国民やらに叩かれるのは世の常なんでさ。

そやってアベチャン自ら囮になって自身を叩かせている間に、
種子法廃止やらキョーボー罪やら、あんなことこんなこと通してしまおうって算段でしょ。

目的が他にあるから、叩かれても辛いとか苦しいとか、
感情があまり沸かないんじゃないか。

で前川氏が再び浮上したタイミングで、こんな曲が。




レインボー。
フランス語で言ったらラルクアンシエル。
誰がリッチー・ブラックモアやねん!

うん、明るい曲やね。
…って、明るきゃいいのか?

どことなく「ヤングマン」(そう、「YMCA」!)に似た曲ですね。
曲は明るいけど、詞はめっちゃ重くね?

みんな違ってみんないい、ってそういうことかよ……
てか、この言葉が「主に」LGBT関係の意味で使われるようになることに危惧をおぼえる。
本当はそれだけじゃないはずなのに。

そう言えば「みんな違ってみんないい」系の大ヒット曲「世界で一つだけの花」、
あれ作った人もそっち系でしたね…

そもそも元祖「みんな違ってみんないい」と書いた人はどこの出身?
……などといろんなことが頭の中を駆け巡ってとっ散らかってる。

あたし自身はLGBTの気持ちは正直ワカランけど、否定はしない。
否定したところで人の嗜好は変わらんだろうし。
前の職場にもいたし。
ただなー、彼らが理解される社会を目指す、てぇことは、
まんまと「奴ら」が目指す人口削減政策に乗っかることになるんじゃないか。と。

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