小夏の大冒険

ちよつとした違和感から世界の秘密へ思考は冒険する

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「みんな違って~」の意味するもの

「文部科学省の皆さんへ」とな…。
最近改めて話題になった前川前事務次官の退職時のメール。

<朝日新聞デジタル 1/20(金) 18:56 より引用>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170120-00000077-asahi-soci

文部科学省の天下り問題で辞職する前川喜平事務次官は20日、「文部科学省の皆さんへ」と題するメールを全職員あてに送った。同省トップ自ら国家公務員法に違反する行為をしただけに「深く反省する」とする一方、「弱い立場、つらい境遇にある人たちに手を差し伸べることは、行政官の第一の使命だ」として、特に性的少数者への支援を訴えた。
(中略) 
 一方、「ひとつお願いがあります。私たちの職場にも少なからずいるであろうLGBTの当事者、セクシュアル・マイノリティの人たちへの理解と支援です。無理解や偏見にさらされているLGBT当事者の方々の息苦しさを、少しでも和らげられるよう願っています。様々なタイプの少数者の尊厳が重んじられ、多様性が尊重される社会を目指してほしいと思います」とつづっている。

(引用ここまで)

てか、何でそこで唐突にLGBTが出てくるかな。
苦しい思いをしている「少数派」なら他にも沢山あるのに。何でLGBTだけ?
違和感持った人も多かったと思う。
記事は「よくやった」という方向に持っていきたいんだってことがあからさまだけど。

何でか。

別に本人が「それ」なわけじゃなくて、思うにこれはLGBTの方々を味方につけるためでは。
せっかくの辞世の辞? どこからも共感得られずには終われない、
転んでもただでは起きまい、官僚なら発表する文書にはそのぐらい考えてるだろう。

或いは当事者の方々から常々、影響力のある立場の人にそうアピールしてもらうよう働きかけがあるとか。
そう書くと氏本人側も当事者の方々も「そんなこと頼まれてない、頼んでない!」と主張するだろうけど。
今やその方面の方々の勢力は侮れないものがある。
結束固いからね。
マ○コ・デ○ックスが何のバックもなしにあそこまでなれたと思う?
ああマユコ・デトックスね。って誰だよ?

そんな氏が最近、加計問題で再び話題に。

いや~あれ、おとりおとり。

総理ともなると、誰が総理になっても国会やらマスコミやら国民やらに叩かれるのは世の常なんでさ。

そやってアベチャン自ら囮になって自身を叩かせている間に、
種子法廃止やらキョーボー罪やら、あんなことこんなこと通してしまおうって算段でしょ。

目的が他にあるから、叩かれても辛いとか苦しいとか、
感情があまり沸かないんじゃないか。

で前川氏が再び浮上したタイミングで、こんな曲が。




レインボー。
フランス語で言ったらラルクアンシエル。
誰がリッチー・ブラックモアやねん!

うん、明るい曲やね。
…って、明るきゃいいのか?

どことなく「ヤングマン」(そう、「YMCA」!)に似た曲ですね。
曲は明るいけど、詞はめっちゃ重くね?

みんな違ってみんないい、ってそういうことかよ……
てか、この言葉が「主に」LGBT関係の意味で使われるようになることに危惧をおぼえる。
本当はそれだけじゃないはずなのに。

そう言えば「みんな違ってみんないい」系の大ヒット曲「世界で一つだけの花」、
あれ作った人もそっち系でしたね…

そもそも元祖「みんな違ってみんないい」と書いた人はどこの出身?
……などといろんなことが頭の中を駆け巡ってとっ散らかってる。

あたし自身はLGBTの気持ちは正直ワカランけど、否定はしない。
否定したところで人の嗜好は変わらんだろうし。
前の職場にもいたし。
ただなー、彼らが理解される社会を目指す、てぇことは、
まんまと「奴ら」が目指す人口削減政策に乗っかることになるんじゃないか。と。

もろもろ変更しました

職場結婚できない人は、いい人だ。


思うところあってブログタイトルやら写真やら、変更しました。
どこが大冒険やねん、という声もありそうですが。
フツーに「小夏のブログ」とかでもいいんですけども。
でもまあ、あたしみたいな婆にそぐわなさそな言葉だから敢えて使うのだ。
誰がつボイノリオじゃ!!

プロフィール写真は骨董市で買った菊花石です。
例の三角目玉に似てるな~と思いシャレで使ってみました。
前使ってた写真のニャンコは、実は家で飼っている猫ではありません。
でも知らない猫でもない。。。
おかげさまで結構ペットブログの方に訪問いただく機会もありました。

ジャンルもなーこれは前から変えたかったんだけど。
自分の思想を書くブログだからと思い、深く考えず「哲学・思想」にしていたんだけど、どーも何だか……

てことは大カテゴリが「学問・文化・芸術」になる。
するとどうなるか。

ブログやってる人ってやっぱり、その人に興味あるジャンルってことで、
自分のやってるジャンルと同じのを見がちでしょ。
それで「学問・文化・芸術」の人が来たりもするんだけど、どーも何だか……

このブログに無理矢理コメントしようとする人のことは前書いたけど、
逆に「どうだったどうだった」と、無理矢理コメントを求めようとするのもちょっと。
「私の小説どう?」「私の描いた絵はどう?」「私の論文は?」……でもって感性を(論理を、頭の良さを、でもいい)必死で競い合ってる感が何だか……

リアルで学者という人もいた。
夫も同じ学問の学者で、二言目には夫が、夫の説は…とくる。
夫に影響を受けていないアンタの説はどうなの?

大学から(国立なら国から)研究費用も生活費も出してもらえて、
やりたかったことを仕事にできて、
更にプライベートのブログでもその研究に関する内容かよ。

それじゃーやりたかったことを仕事にできずに、
細々と配管工とかしながら、時間みつけて何とかやりたかった研究を続け、
それを趣味とか言われバカにされている奴が浮かばれんわ。

いや、そんなことより。

それって職場結婚ってことでしょ。

独身男女の読者が読みたいのはアンタの研究なんかより、
「私はいかにして職場結婚にこぎつけたか」じゃない?


女子アナはなぜ野球選手と結婚するのか。

ネット上か雑誌か忘れたけど、何かに書いてあった。
アナウンサーは結構野球場に行く機会が多い仕事なんだそうだ。
女子アナにとって野球場は職場であり、これは職場結婚の一形態なのだ。
だから当然の成り行きだ、と。

イチローが女子アナと結婚した時、やくみつる氏が言ってた。
「つまりイチローという人はダブルスタンダードを持つ人なんですよ」
という意味のことを。
ダブルスタンダード、という言葉だったかどうかはもう忘れたけど、
言い方変えりゃ公私混同できる人ってことだ。

別にやくみつるのファンではないけど、これはまちがってないと思う。

だから職場結婚できない人は、公私混同できない人ってことである。
それって社会人としては極めて真っ当じゃん。いい人じゃん。

ふぅ……、やっと1行目に繋がった。

厳密に言うと職場で友達をつくることも、公私混同ということにはなってしまうが。
アナタが職場の人と友達になる以前に、職場はアナタと労働契約を結んでいるのだから。


学者の人のことをあれこれ書いてしまったけど、
もしかするとここ2年ぐらいの間にリアルで会ったことある人かも。ヤバ…

母の日の思い出

あたしは元々絵の才能がある方ではないのだが、子供の頃習っていた(習わされていた)ので、まあそこそこは、基本押える程度には描けた。

母はとにかく、子供に何々を上達させたい、勉強をできるようにさせたい時は何でもかんでも塾やおけいこごとの教室にぶちこんでしまえば安心と考えている人だった。
それで母のイメージ通りに上達しなかったり成績が上がらなかったりすると、
何で、何でだ、何でなんだあぁぁぁぁーーーーーっ!
と、ぎゃんぎゃん子供を責め立てて、それで自分の仕事は全うしたと考えているみたいだった。

母は、自身が安心するためなら他の誰を犠牲にしても意に介さない人だった。

ひと頃は3箇所ぐらい併行して習い事に通わされていた。
更に、算数の成績がよくない、暗算が遅いと怒られ、そろばん塾に行けと脅されたこともある。

冗談じゃない。

他の習い事はせいぜい週に1~2回だけど、そろばんは週3回、教室によっては4回ある所もある。
それを他のと併行して行けと。

どうにか必死で抵抗して、そろばんだけは免れたけど。

今じゃー仕事でそろばん使ってる奴なんざ見たことねー!!
てか、就職したン十年前既にそんな奴いなかったぞ。


それはそうと、絵である。

母の日が近づくと小学生は、毎年のようにおかあさんの似顔絵を描かされる。

5年生ぐらいの時だったか、あたしの描いたのが上手かったということで、学校の渡り廊下に貼り出された。
廊下の数メートルおきぐらいに、他の上手い人達のと一緒に、そのうちのひとつ。
平均すると1クラスから2~3人ぐらいは選ばれていたから、すごく稀少というわけでもない。

だけどあたしはいじめられていたから、あたしの描いたおかあさんの絵だけ、顔のところが茶色のような朱色のような色のクレヨンのような消えないやつで何者かにぐじゃぐじゃにされた。

絵はそれぞれ額縁に入れられていたけど、ガラスが入っているわけじゃないので誰でも簡単にさわれた。

やった奴は今でもわからない。

ひどいことをされたと頭では認識しているけど、だからと言って先生に泣きながら「こんなことされたんですよ~」なんて訴えたりはしなかった。

だいたいあたしは、いじめられたことをあまり先生に言いつけたりしなかった。
先公は頼りにならないのと、自分で解決できる自分が自分は好きだと思ったから。

言わないから、ますますいじめられるんだけどさ。

てか、みんな気づいてたはず。あたしの絵のとこだけそんなになってたことは。先生だって。
でも「小夏が何も言ってこないからまーいっかー」みたいなつもりだったんだろう。
知ってて無視しやがったんだよ。先生を含む全員が。

本来ならあたしが言わなくたって率先して「誰だこんなことしたのは」と全員の前で怒るもんだろ。
もし率先して怒ってくれるような先生だったら、あたしはもー感動して、教師を志してしまっていたかも知れない。

だけどそんなドラマチックなことには現実はなるはずもなく。
教師の事なかれ主義っぷりをまのあたりにしただけ。

だけどこの時先生に言わなかった理由はそれだけじゃなかった。

ぐじゃぐじゃにされたのは「母の」顔だったから。
あたし自身が母にアンビバレントな感情を、いやはっきり言おう、憎しみを感じていることに自分で気づいていたから。

だから母にこんなことをした誰だかわからないいじめっ子を、この時ばかりはあんまり憎む気になれなかった。

ウン、誰だったんだろーね。
いかにもいじめっ子然としている男子にもいっぱい心当たりはあったけど、
普段親友ヅラしてる女の子の可能性も全然あるっ!
と当時から思っていた。




個人的には、母の日は迷惑。
この時期いつも買ってる花があるんだけど、もちろんこの時期の花だけど、
母の日が近づくとカーネーション以外の花で目当ての品種のを探すのが超難しくなる。

姿勢が悪い人は、いい人だ

姿勢が悪い人は、いい人だ。


電車の中で長い方の座席、「7人掛けですので、譲り合ってお座りください」だと?
ざけんな!

確かにケツ幅は多少デブでも7人座れるように設計されてはいるみたいだけど。
ケツ幅しか考えてないだろ。
肩幅は無理無理!

両腕を自然に体の真横に垂らした状態だと、ぶつかり合ってしゃーない。

おのずと、偶然隣り合っただけの他人とモメたくない「いい人」は、必死で肩を前にすくめ、肩幅がケツ幅以下になるように折り畳んだ姿勢で座ることを余儀なくされる。

窮屈。でもやがて慣れる。

すると、電車降りた後もその姿勢がクセになり、日常いつもそれで過ごすことになる。
「ワタシの肩幅? ケツ幅と同じくらいよねえ。確か」と、体が勝手に学習してしまうのだ。
腕二本分の幅が本来あることを忘れて。

すると、親だの教師だの上司だのから(時には同僚、友人などからも)、アンタは姿勢が悪いとぎゃんぎゃん責められるのだ。

これほどの理不尽があろうか。


逆に、そんな電車の座席に座っていても良い姿勢をキープできる奴って、余程厚かましいよな。

そいつの隣になった人は肩をすくめる羽目になる。
他人の姿勢を悪くさせても意に介さないでいられるなんてさ。単なる無頓着なのかね。

そういう奴が「姿勢がいい」とほめられ、肩を折り畳む「いい人」が責められるなんて、
こんな世の中があっていいのかよぉ…うっ、うっ(泣)。


あとついでに言うと、座るなり、手荷物の中身をガサコソやり出す奴も迷惑。
なぜか若い女に多い。化粧し出す奴も含めて。
手荷物いじるのはオバサンが多そうなイメージだけど、意外にオバサンはそうでもない。
年喰ってくると動きもにぶくなるからね。
本人に悪気がなくても、隣りにいると肘が当たるんだってばよ。降りてからやれよ。


ここ10年ぐらいで、整体院だのマッサージだのストレッチだのリラクゼーションだの、その手の店が街に異常に増えた。
姿勢矯正とか言って、そういう店の餌食にされるのも、姿勢を悪くされた「いい人」達なのだからして。






悲しいお葬式

コメントもなー。
例えば去年の7月24日の記事みたいのに対して、
「それは○○という雑誌の○号に出ていたものです。著作権的に問題があるのでは」
とか、
版元の関係者ご本人から、
「出典を明記してください」
というものなら、これはもう謹んでお受けしたいのであるが。。。

そこまで真摯に内容と向き合ったり、過去の出版物を正確に記憶してる奴なんか誰もいやしねえ!(怒)


―――――――――――――――――――――――――――――――――――

それはそうと、今日の本題である。


あかりをつけましょ 消えちゃった
お花をあげましょ 枯れちゃった
五人囃子も 死んじゃった
今日は悲しいお葬式


もうひな祭りも過ぎてしまったが、有名な替え歌。
(まさかこの詞について「これは自分が作った」と著作権を主張してくる奴はいないと思うが…)


ここで考えたいのは、なぜこういう替え歌が作られたのかということだ。

答えはすぐ出る。
こういう悲しい詞を作りたくなるような曲
だからだ。

モト歌が「うれしいひなまつり」なのに、モト詞は「うれしい」のに、曲はちっともうれしくない。
こんなマイナーキーの悲しい曲調に、うれしい歌詞を乗せること自体無理があるとずっと思ってたー!
替え歌の内容の方が、曲からすると自然でしょ。

日本人ってば、日本の歌って、日本の音階って、ハッピーな内容でも曲が暗いことが多くてほんとーにイヤだった。
こればかりは日本人に生まれたことがイヤだと思える点だ。
民謡だって暗いじゃん? イタリアみてぇにオ~ソ~レミ~オ~とかサンタ~ルチ~ア~とか、
歌うだけで気分が高揚するワルツの曲を自国の民謡に持てたらどんなにかいいのにとずっと、ずっと思ってたー!


70年代の半ばに屈斜路湖でさ、屈斜路湖のクッシーの歌が作られた。
クッシーだぜ? 謎多きUMAだぜ? しかも観光PRの目的もあるんだろうからさ、
恐竜大好きの子供達をターゲットにして元気のよいアニメソング調の曲にすればいいものを。

私は悲しいクッシー いつまで生きるさだめなの?

みたいなくら~いワルツの曲に仕上がってて、それ違うだろっ! と憤りを禁じえなかった。

町長さんの趣味なのか、なじみの作曲家の力が強くて誰も文句言えなかったか。
そーゆー個人の趣味をヒトのカネ(自治体の予算? 企業の資金?)で世に出せるなんて、
なんて恵まれた身分なのだろう!


子供の頃眠る時に、頼みもしないのに母が勝手に歌ってくれた子守唄。
ねんねん~ころ~りよ~おこ~ろ~り~よ~

日本人としてはこの子守唄を歌うのはフツーだけどさ。
これもマイナーキーでイヤだった。

寝る時ぐらい、楽しい気分で眠りたいじゃない?
楽しい夢を見たいじゃない?

なのになんでわざわざ、一日の〆に悲しい気分にさせられるんだよー!

歌っている母の口を抗議の意を込めて手で塞いでやったら、何をするんだと逆に怒られた。


せめてシューベルトの子守唄とか、メジャーキーのやつにしてくれ。


……と、西洋の子守唄をむやみにありがたがってたあたしではあったが。

考えてみりゃ、「サマータイム」、あれは暗いな……


(関連記事:『メジャースケール』)

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