小夏の大冒険

ちよつとした違和感から世界の秘密へ思考は冒険する

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In The Shade Of The Old Apple Tree

シックハウス? んなもん、気力で治したわ。


ちょうど小学生ぐらいの頃は、親戚とか親の友人知人が相次いで家を建てた頃と重なる。なもんで新築祝いに親と一緒にちょくちょく呼ばれた。
そんな時は、全員じゃないけど都合のつく親戚とかも結構集まった。
だいたい年に1回以上ぐらいのペースで、そんなことがあった。

そのうちに変なことに気がついた。

新しい家に行くと、なぜか具合が悪くなる、と。

それはあたしだけみたいで、親は全然平気だったし、まして住んでいる知人(=施主)自身は念願のマイホームが完成してゴキゲンだったし。

いつも帰る頃にはぐったりしていた。
でもそれを見た親は、「遠くまで来たから疲れたんだろう」とか「はしゃぎすぎたのね」ぐらいにしか思ってなかったに違いない。
「新しくてステキな家ね。キレイねー立派ねー」と無邪気に喜び、家をホメる母がオニに見えた…

本当は「新しいおうちは具合が悪くなるからイヤ」と言いたかったが、
そんなことを言おうものなら、
「何て失礼なことを言うのこの子は! 親に恥かかすんじゃないよ!」とガミガミ怒られるに決まってる。

今思えば、あの具合悪さがシックハウスというやつだったんだなーと。
あの頃そんな言葉存在しなかったし。
今でも母は、あたしが「それ」だったことに気づいていない。

今なら建設業界も、環境に配慮した建材の採用に力を入れるような流れになってきてるけれど、70年代のあの頃なんかまさに化学物質使い放題だったろーし。アスベストなんかも便利な素材という認識だったし、理科の実験でも石綿金網とかフツーに使ってたし。

親に言えば怒られる、でも新築の家に入ると具合悪い。ほんとは来たくないけど親が連れてくるし。
それで子供なりに、いろいろ知恵を働かせるわけです。
つまり家の中にいるから苦しいんであって、途中で外に出る機会があればいくらかマシになるんではないかと。
それで親にこう言った。「自然が多くてステキな所だから、少しお散歩してくる」と。

そうやって親戚連中の輪からやっとの思いで抜け出し、外に出た。そのうち、一人じゃ心配だからとか、相手がいた方が楽しいとか、どんな理由が忘れたけどそんな感じの理由で、従妹がついて来るようになった。

道に迷わない程度に(だいたいそういう場所は宅地造成したばかりでまだ何もなく、迷うほどのものもない)、そのへんをぐるっとひと回りして戻ってくる。だいたい15~30分程度。

そんなことが何度か続いて5年生になり、6年生になり、そして中学生になった。
もう知人や親戚も家を建てたがった人はだいたい建て終わって、最後にそんな風に新築に呼ばれたのは中学1年の時だった。

今度こそ、新しい家なんかに負けないぞ、来るなら来てみろ、と気力を奮い立たせて中へ入った。
いつものように親戚が集まっている。
しばらくすると、従妹の方から聞いてきた。「ねえ、(外へ)出る?」

今のところ気分悪くなってないけど、まあ出てみっか、と思い出た。
この頃には新築の家の周りを散策することは恒例になっていた。
いつものようにぐるっとひと回りして戻る。それからしばらく家の中にいたが、もうあの苦しみは襲ってこなかった。

あ、大丈夫みたい。

その時、もう具合悪くならない、治ったんだ、と悟った。
恐らく、前と比べて成長したことで体が鈍感になったのかなと思っている。
しかし自分が治せたからと言って、他人にも「シックハウスくらい気力で治せ」とは言えまい。
ガンになっても、死ぬ人と死なない人がいるように。

90年代頃になって、やっとシックハウスのことが世間で騒がれ始めた。おせーよ!
親にもわかってもらえず、長いこと苦しんだってのに。

従妹は、あたしがただお散歩したくて外に出たがってるんだとしか思ってなかったはず。
そんな従妹も今じゃー、某イルミ系製薬会社に勤務しちゃってるらしいし。もう何十年も会ってないけど。

そんなあたしも、大人になる頃には───


ところでこの本は、今更あたしが紹介するまでもなく、もうすっかり有名になってますねー。。。
TVや映画にもなったし。こうして無農薬農業界? にもスタアが誕生するのだった。。。

奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録 (幻冬舎文庫)
奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録 (幻冬舎文庫)

前回の記事に関連して、無農薬の果物と言えば、これを抜きにしては語れまい。

本の中で語られている運命の日、1985年7月31日。まあ詳しいことは本を読んでいただくとして。
その頃、木村さんのような農家がいらっしゃるなんて知りませんでした。

その日の、つい1ヶ月ほど前だったと思う。7月アタマか6月頃。あたしが農薬で真っ白になったリンゴ畑をモノともせず、その間の道路を自転車を走らせて(よい子は真似しないでね)、弘前市内から鰺ヶ沢まで行ったのは。
子供の頃はあんなに化学物質に過敏だったのに、もうその頃にはそんなことやっちゃってました───

どうりで人通りが少ないと思った。田舎だからってだけじゃなく。
車は結構通るのに、歩いてる人間がほとんどいなかった。

尤もその日は散布した当日ではなかったかも知れないし、当日だったとしても、もう撒き終わってた時間帯だった。
やる時はヘリから空中散布とか、やることもあるから。
本当にヤバい時は通っただけで怒られるはず。「アブネはんで来たらまいね!」とか言われて。
しかし山道の登り坂を自転車押して歩いているあたしを見て、わざわざ車を止めて「パンクか?」と聞いてくれたおっさんはいたけど、怒る人はいなかった。

南北に長く広がる弘前市を北西方向に進み、十腰内(とこしない)という所を越えれば鰺ヶ沢町に入る。更に進むと日本海が見えてくる。
木村さんの畑のある岩木町(現:弘前市)は、その日のルートでは掠らなかったと思う。


最近では木村さんに触発されたのか、青森県内の他のリンゴ農家も、減農薬をウリにする所がちらほら出てきている様子。
無農薬は確かに理想だけど、収量が安定しないという課題を抱える。

農家じゃない人達は消費者として、食べる側のリスクだけを問題にしがちだけど、使っている農家の人達もリスクはあるわけで。
できれば使わずに済ませられるものなら、使わないに越したことはないと農家だって思っている。
でもまあアレだ。薬剤師は薬を飲まないかどうか知らんが、とりあえずリンゴ農家の人達はリンゴ食べてますから──。


個人的見解ですが、いろいろ苦労はされてきても、何だかんだ言って木村さんは、運の強い方だと思いますヨ。
姓名判断的には、木村「秋則」さんは、木村「拓哉」さんと同じ字画です。
木村というのは奥様の方の姓だそうだ。婿入りして木村となったことが却って良かったのでは。

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