小夏の大冒険

ちよつとした違和感から世界の秘密へ思考は冒険する

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みうらじゅんの誤算

本当は公害ブルースの次にはこれを書きたかったが、桃子ちゃんのニュースがあったので前後した。


みうらじゅん氏の提唱したゆるキャラ、かすはが、いやげもののうち、後ろの2つは知られてはいるものの、やや盛り上がりに欠けたが、ゆるキャラだけは一大ブームを巻き起こし、あちこちの自治体やらその他団体がウチもウチもとこぞってキャラを出している現状。

しかし結局一番流行ったのは、ふなっしーという、自治体から出た官製キャラではない民間出身だったという皮肉な結果になっている。
やっぱりお役所のセンスじゃいまいち大衆のウケが悪いのか。

ふなっしーは阿川佐和子のインタビューを受けた時がピークだった。
あれでだいぶ手の内を明かしちゃった。
でも当のふなっしーもあのタイミングは計算の上だったと思われる。
尋常でない忙しさもさることながら、既存の芸能事務所とかからは「誰に断って商売してんだ」などと言いがかりをつけられたりもあったと聞く。

もう十分儲けたし、自分が動かなくても権利収入も入るようになったし、そういう敵対勢力に悪い噂(たとえそれがでっちあげであっても)でも流されないうちに、マスコミを味方につけられているうちに少しずつ露出を減らしていく、その引き際は見事だ。海外で活動したりもしているらしいが。
やっぱり賢い人(そう。「人」だよーん)なんだろうと思う。

ふなっしーの話はこれぐらいにして。

ところであとの2つ、かすはがといやげものは、なぜそこまで流行らなかったのか考えよう。
当然のことだが、どちらもそれを「作った人」がいるわけで、作った人は当然それを「仕事として」作ったのだ。
つまり、プロである。

みやげもの屋とかにあるあの絵ハガキの写真って、誰が撮影してんの?
やっぱりプロのカメラマンなんだよね?
地元で写真館とか経営してる人? 店なんか持ってない自由業? 単なるカメラが趣味の人とかじゃないよね。
例えば絵ハガキが20枚ひと組だとしたら、その20枚全部がその人の作品なんだよね。
その中に1枚、客の目からみてもこりゃーどーしよーもない構図だなーというのが混じってたとして。
それを「やーいカスハガー」とか言って嘲笑したら、やっぱり不快だよね。
例えそれが数合わせのために入れられたものであっても。
構図はしょーもなくても、ピンぼけしてるわけじゃないし。

いやげものもなー。こっちは何が対象になるかわからない。
由緒ある伝統工芸品でも、地名が書かれただけのキーホルダーでも、もらった人の部屋やライフスタイルにはまるで合わないものだったり、要はもらった人がイヤだと感じれば何でもいやげものになる可能性がある。
作った人はツライものがある。
だからといって、じゃあウチの町ではキーホルダーをやめようというわけにはいかないんじゃないか、あれ。伝統工芸品なら尚更だ。

つまりこの2つが爆発的流行とはいかなかったのは、傷つく人、不快になる人、嘲笑されたままの存在でいることを受け入れられない人がいるからなのではないか。

じゃあゆるキャラは、傷つく人がいなかったのかというと、そうでもなかった。特に最初のうちは。
特定の個人ではなく、自治体という団体ではあるが、傷つくものは傷つく。
みうら氏が役所にコンタクトをとり、「おたくのゆるキャラを紹介させてください」とやっても、
「うちはゆるくありません」と怒られたり。
そりゃそうだ。

ところが。

どこか1か所でも、ゆるさを認めた、「わし、ゆるキャラだもんねー」と、「ゆる」であることの上に居直ったキャラが出てきた途端、どうなったか。

怒涛のように次から次へと「ゆるでいいじゃん」となり、ゆるキャラ達がゆるいままわんさか押し寄せて百花繚乱。
そうなると大衆もいつのまにか「ゆるさがいいんだよねー」てなことになり、最初はバカにしていたことも忘れて人気投票とかしたり。
ディズニーとかサンリオとか、きっちりデザインされプロデュースされて出てくるキャラはそれはそれで人気を保っているけど、ゆるいからといって思った程の不都合はなかった、ていうかむしろゆるい方が癒されるという空気にもなっている。

その、最初にゆるさを認めた勇気あるキャラはどこの誰だったか。くまモンか、ひこにゃんか、そのあたりは定かではないが。


思うにみうら氏の基本スタンスは、素人をバカにすることなんだなーと。

いや、完全に素人ではないけど、辛うじてプロにひっかかっている──絵ハガキの写真撮りで生活しているカメラマンだったり、おみやげづくり職人だったり、デザイン経験もないくせにたまたまその部署にいたおかげでキャラクターデザインを手がけることになった役場の広報だったり──そういう人々を早いとこ蹴落として、自分達メジャーなプロがもっと安心できる世界を作りたいと、大衆は大衆のままで、決してプロなんか目指さないようにと。自分達の仕事が減らないように。
(関連記事:『プロはなぜすごいか』)

バカレコ、もそう。ヒットチャートの上位を占めるメジャーな楽曲を持ち上げ、売れないものはとっとと蹴落とそうという悪意を感じる。

ゆるキャラについては、流行を作れたのは喜ぶべきことであっても、バカにできない存在になってしまったのは氏としては誤算だったのではないか。

でも本人だってさ。
なんとか「ガロ」に拾ってもらったくせに。一旦メジャーな地位を手に入れると必死でそれを守ろうと?

「ガロ」には生理的嫌悪感がある。
「本当はキレイな絵が描ける人達」が、目立つためにわざとグロい絵を描いているようで。
あの雑誌はコアなファンも多いらしいから反感買ってるかも知れないけど抗議は受け付けませんからー。


(ちなみに氏は他にも「仏像」とか「親孝行」とかも提唱しているが、これらは素人をバカにするのとはちょっと違うな……また別の方向からのアプローチが必要だろう。)


そんなみうらじゅんが、また「バカにする対象としての素人」を見つけてきた。

それが、おかんアートだ。

ある種の主婦が好んで作る手芸作品、ソープバスケットとか、ドアノブカバーとか、毛糸で編んだキューピー人形の服とか、アクリルたわしとか、なんかそういうもん。

素人のアート心は許さないと言わんばかりにせせら笑い、恥をかかせようとする。
テレビとか、そうだよね。お笑い芸人が素人の作品(アートとは限らない)を紹介する場面で、「手づくり感溢れる」という言葉をよく使うけど、あれ完全にバカにした意味で使ってるよね。

当の「そういうのが好きなおかん」の方々は、そんなことは意に介さないだけのパワーがあるけど、あたしならマジに辛い。
もともと、そういうのを好んで飾る方でもないけど。

しかし、だ。

昔の主婦には、もっとさまざまな場面で感性を表現できる機会が多かったのではないか。
今は確かに便利にはなったけど、それは半面こういうことでしか感性を表現できないってことであり、かわいそうなことでもある。

昭和30~40年代頃まで、代表的な花嫁修業と言えば料理や裁縫の他に、なぜかお茶とお花が必須だった。
お茶はともかく、お花はどうしたって感性が出る。しかしどっちも日常生活にはそんなに重要じゃない。
それでもそれがきちんとできることは嫁として重要なことだったのだ。

今、裁縫と書いたが、衣服だって既製品がそんなに豊富じゃなかったから、みんな自分ちで作っていた。
終戦直後の昭和20年代に青春を過ごした世代には服飾専門学校へ進学する人も多かった。
そんな裾野の広さが、高田賢三やコシノジュンコ等の世界的デザイナーを輩出したんである。

このブログで一番の人気記事は、不本意ながら相変らずユニクロはなぜ安いかなんだけど、今はもうあんな風に衣類なんてあり余ってて安く手に入るのがあたりまえだと思ってるでしょ?

裁縫どころかさー。
そもそも一般家庭で「布を作る」ことがどれほど大変だと思う?
裁縫どころかもっと昔は機織りから、いや糸紡ぎから自分でやってたんだよー。
器用な主婦もそうでない主婦も、家族の着るものは自分で作っていた、ということはイヤでも感性を表現する機会に晒される。

もしも、さ。
無人島にたったひとりで流されたとしたら、衣食住のうち一番困るのは実は「衣」じゃないかと思うんだ。
流された先の環境にもよるが、気候が温暖で自然豊かな南の島へでも流されたら、食や住は辛うじて何とかなるかも知れない。
しかし、衣は?
こればかりはどうしたって、あらかじめ知識や技術を持ってないと無理。
とりあえず着れるものを作る、もうそれはファッション以前の問題。
これができないと裸で過ごすしかない。

誰も見てないし、温暖なら裸でもいいじゃないかとなりそうだが、
衣服には身体を保護する役割もあるわけで。

だから?

だから、おかんアートの灯を消してはいけない

……と。こういう結論でよかったんでしたっけ?


そういうわけで今日の1曲。モダンキョキチョキズ「博多の女」。
これは、いやげものなのか?
あたしにはこの歌の主人公は「友達のおみやげに文句ばかり言っているイヤな奴」に思えるんだが。

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